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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和48年(ワ)63号 判決 1974年9月20日

原告 甲野太郎

訴訟代理人弁護士 鈴木信一

被告 乙山花子

被告 乙山松男

両名訴訟代理人弁護士 猪股直三

主文

被告乙山花子は原告に対し金四〇万円とこれに対する昭和四八年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告乙山花子に対するその余の請求と被告乙山松男に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告乙山花子の負担とし、その余を原告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

一、請求の趣旨

1  被告らは各自原告に対し金一四六万九三六七円と内金一三三万九三六七円に対する昭和四八年九月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と仮執行宣言を求める。

二、請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告が昭和二二年一月三日生の男子であり、被告乙山花子が昭和二六年一二月二四日生の女子で、高校、洋裁学校を卒業後自宅で洋裁業をしていたものであり、被告乙山松男が被告花子の父で、農業を営むものである事実、原告が昭和四七年一一月二日ころ知人の母訴外Aの紹介で、被告花子と見合いをし、その結果同月二五日被告花子方で、原告の母訴外甲野はる、仲人訴外B、同訴外Aの立会いの下に被告松男及び被告花子の母訴外乙山タケの承諾を得て、被告花子と正式に婚約した事実、被告松男と訴外タケが昭和四八年一月八日原告の実家を訪れ、同月一〇日同所で仲人訴外B、同訴外A立会いの下に原告が被告花子に結納金を贈り、その結婚式を同年三月三日に挙げることを決めた事実は当事者間に争いがない。

また、原告と被告花子が同年三月三日○○市○○○の○○○神社で双方の父母、親族、知人ら約四五名の列席の下に結婚式を挙げ、引続き同所で披露宴を開催した事実は原告と被告花子との間に争いがなく、被告松男はこの事実を明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。そして、原告と被告花子が南紀地方へ三泊四日の新婚旅行に出発した事実は原告と被告花子との間に争いがなく、原告と被告花子の各本人尋問の結果によるとその事実を認めることができる。次いで、原告と被告花子の各本人尋問の結果によると原告と被告花子は三月七日新婚旅行から帰ると原告が借りていた家屋で同棲し、以来同年五月一七日まで同所で夫婦同様の生活を続けていた事実を認めることができる。

そこで、以上の事実によると原告と被告花子は遅くとも三月七日には社会観念上夫婦共同生活と認められるような共同生活に入ったとみるのが相当であるから、これによってその両名の間には内縁関係が成立したといえる。

二、前記一で認定した事実のほか、被告らが昭和四七年一一月二六日原告の実家に宿泊し、原告が同年一二月三〇日被告ら方に年賀に行って、昭和四八年一月五日まで被告ら方に滞在し、その帰途被告花子を伴い、被告花子が同月六日から一五日まで原告の実家に滞在した事実、被告らが同年五月二七日原告方に被告花子の嫁入道具を受取りに行った事実は当事者間に争いがない。

そして、≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、原告は昭和四七年一一月三日被告花子と見合いをして直ぐ同人が好きになり、できるだけ早く同人と結婚したいと考えた。被告松男と訴外タケは同月二五日原告と訴外はるに対し「被告花子の姉を同年三月に結婚させたばかりで、被告花子の嫁入仕度を整える経済的余裕がないので、翌年の秋まで待ってくれるように」と申入れたが、訴外はるは「嫁入仕度はいらないし、困らせるようなことはしないから、来年の三月には嫁にもらいたい」と回答し、その日のうちに婚約が成立した。被告松男と訴外タケは翌二六日原告の実家と原告の仕事場を見分するため秋田県○○町から○○市にやってきた。原告は実家から歩いて七分ぐらいの所に借家して独りで住み、原告の実家にある仕事場で兄の訴外甲野一郎の経営する自動車の鈑金の仕事を手伝い、小遣程度の給与を得ていたが、昭和四八年二月から月額五万円の給与を得るようになった。借家の賃料、電気ガス水道料は訴外はるが支払っていた。結婚式、披露宴には被告らの方から大人一五名、小人五名が出席したが、三月二日の夜には原告の実家と借家に分れて宿泊し、三月三日の夜には原告の借家に宿泊した。三日の夜になって被告花子は訴外タケらと共に、披露宴の引出物が足りなかったこと、秋田から来た者の旅費を原告側で出してくれなかったこと、寝る場所がなく、寝具が足りなかったこと、訴外はるの態度に不満を持ったことなどから、直ちに秋田に帰ると言い出した。仲人の訴外B、同Aや原告の父がこれをなだめ、訴外Bが「責任をもって被告花子の面倒をみる」と言い、原告の父が「できるだけのことをする」と言ったうえ、原告も「自分の嫁であり、頑張ってやっていくから置いてくれ」と懇請したので、その場はおさまり、原告と被告花子は翌四日新婚旅行に出発した。両名は三月八日一緒に買物に出て銀行ローンの月賦払でテレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫を買った。その割賦金は月額約二万円になったが、第一回目のものは訴外はるが支払い、四月分と五月分のものは原告が支払った。被告花子は実家から米味噌醤油をもらって来たので、当分主食には困らなかったが、その割賦金を支払ったうえ、光熱費新聞代などを支払うと家計をやりくりするのが苦しかった。被告花子はしばしば原告に「生活費が足りないから何とかしてくれ」と訴えたが、原告は「何とかなるから、もう少しがまんするように」と言うだけで、具体的な方策を講じなかった。このような原告の頼り無い態度を見て、被告花子は五月初旬の連休のころ原告と正式に婚姻するのはやめようと考えた。被告花子は実家の田植の手伝いなどのために五月一七日実家に帰ることになったが、内縁解消の意図を持っていることは説明せず、原告から婚姻届の書面を作成して来るようにと言われて婚姻届出用紙二通を渡されるとこれを受取り、訴外はるから小遣として一万円をもらい、原告から土産物を受取って、「用がすんだら帰って来る」と言いながら、同日秋田に向かい出発した。原告は同月二〇日実家にいた被告花子に電話をしたが、そのとき被告花子は「二十四、五日には帰る」と返事した。被告花子はそのころ両親に「収入が少なくてやっていけないから原告の許には帰らない」と訴えていた。これを聞いて、訴外タケは被告花子に同情したが、被告松男は「もう少し原告と話をしてみるように」と言った。原告は同月二三日にも被告花子に電話したが、被告花子は「給料が安いから千葉には帰りたくない」と返事し、続いて、被告松男が電話に出て、「今までのことはなかったことにしてくれ」と言った。訴外Bが同月二四日被告松男に電話して、「被告花子はどうして帰って来ないのか」と言うと、被告松男は「被告花子は生活が苦しいから帰るのがいやだと言っている」と返事した。被告松男はそのころから被告花子の意思どおりにしてやろうと考えるようになった。被告らが同月二七日早朝原告の借家に被告花子の嫁入道具を受取りに行ったとき、原告の知らせで、訴外はる、訴外Bらがその場にやってきたが、同人らと被告らとの間にはその善後策について対話のできるような雰囲気が見られず、売り言葉と買い言葉が交されただけであった。

そこで、以上の事実によると次のように判断するのが相当である。すなわち、原告と被告花子の間には内縁関係が成立したのであるから、両名の間には同居、協力、扶助の義務などが生じたといえる。ところが、被告花子は五月一七日秋田県○○町の実家に帰ったのち、同月二三日〇〇市の原告に対し電話で「原告の許には帰らない」旨の意思表示をなし、同月二七日原告の許から嫁入道具を引取ったのであるから、被告花子はその意思と行為によってその内縁関係を解消したといえる。被告花子は原告の収入が少なく、生活が苦しかったうえ、原告が頼り無かったので内縁を解消したとみることができるのであるが、被告花子はその生活苦を原告に訴えただけにすぎず、昭和四八年四月ころには原告が二〇万円の預金をしていることを知っていた(被告花子本人尋問の結果)のであるし、三月三日の夜には仲人の訴外Bや原告の父が責任をもって被告花子らの面倒をみると言っていたうえ、被告花子が実家に帰ってからも被告松男はもう少し原告と話をしてみるようにと言っていたのであるから、被告花子はその真意(内縁解消の意思を強く持っていること)を原告に打ち明けて原告とその善後策を真剣に協議すべきであったといえるし、二人だけで解決できないようであったら、訴外Bや原告の父、被告花子の父などに相談して打開策を講じてみるべきであったといえるのであって、これらの手段を講じようとせず、せっかちに内縁解消の挙に出たことは非難されるべきである。他方、原告は見合いした当初から被告花子が好きになり、三泊四日の新婚旅行をすませて新しい家庭を持ち、仲良く暮していた(原告本人尋問の結果)のであって、五月一七日には婚姻届の書面を作成して来るようにとその用紙を持たせてやり、被告花子との婚姻を熱望していたとみることができるが、原告は被告花子からしばしば生活苦を訴えられたのであるから、早急に的確な手段を講ずるべきであったといえるのであって、被告花子の真意を察知できなかったことによるとはいえ、原告がのんびり構えてこれを放置していたことには落度があったといえる。しかし、これらの双方の事情を総合的に考慮しても、被告花子が内縁を解消したことについては正当な事由がなかったものとみるのが相当である。そうすると、被告花子は原告に対し内縁の解消によって生じた精神的、物質的な損害を賠償する責任がある。

次に、原告は被告松男に共同不法行為があると主張するが、右認定事実のように被告松男が被告花子に同情して内縁解消の行為に出ることに同意し、被告花子の嫁入道具を受取りに来たことをもって共同不法行為に当たるとみるのは相当でないし、他にこの事実を認めるに足りる証拠はないから、原告の右の主張は採用しない。

三、原告に生じた損害について判断する。

(一)  原告が被告花子に結納金一一万円を贈った事実について被告花子はこれを明らかに争わないうえ、前記二で認定したように内縁は五月二三日ないし二七日に解消してその期間は短かかったのであるが、婚約が発展して内縁関係が発生し、結納の目的はすでに達せられたものとみるのが相当であるから、原告に同額の損害が生じたとみるのは相当でなく、したがって、その賠償を請求するのは失当である。

(二)  原告は結婚式等の費用として二二万九三六七円の賠償と新婚旅行費用として二〇万円の賠償を請求するが、この点についても(一)の場合と同様にいずれもその目的が達せられたものとみるのが相当であるから、その賠償を請求するのは失当である。

(三)  前記二で認定したように原告は被告花子との婚姻を熱望していたとみることができるところ、被告花子から一方的に内縁を解消されたので、少なくない精神的苦痛を受けたものと推認することができる。そこで、前記二で認定したような内縁解消に至った双方の事情と弁論の全趣旨から推認できるところの再婚(正確にいえば再婚とはいえないが)をするのには不利になることを覚悟のうえで原告との内縁解消に踏み切った被告花子の心情などを考慮すると、原告の精神的苦痛を慰藉するのには四〇万円を賠償させるのが相当である。

(四)  ≪証拠省略≫によると原告は原告訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任し、同人に弁護士費用として一三万円を支払った事実を認めることができる。しかし、弁論の全趣旨によると原告は昭和四八年五月に内縁が解消するや、同年八月には本件訴訟を提起してその賠償請求に及んだものであって、その間被告花子らと示談の折衝を試みたこともなく、家事調停の手続をとったこともなかった事実を推認することができ、しかも、被告花子が不当抗争をしたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、原告がその弁護士費用の賠償を請求するのは失当である。

四、そうすると、原告の請求は被告花子に対し慰藉料四〇万円の賠償とこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和四八年九月一日(これは記録上明らかである)から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、被告花子に対するその余の請求と被告修一に対する請求はいずれも理由がない。そこで、理由のある部分を認容し、理由のない部分を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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